運慶(うんけい)展を見て

 運慶うんけい一族は結婚する僧侶だった。父康慶こうけいが結婚して運慶が生まれ、運慶自身も結婚して複数の子をもうけた。その一人湛慶たんけいは、親鸞しんらんと同い年だった(1173年生まれ)。
 親鸞の「結婚」という現象は、決して「無から有」のようにいきなり現れたのではなく、僧侶が結婚しつつあるという当時の社会情勢の中から生まれたのである。
 これが「僧侶が結婚する宗派」=浄土真宗を生み、更には、今日にいたるまで、日本佛教ぶっきょう全体に広がったのである。

 運慶たちの傑作の裏には、「一将いっしょう 功成こうなりて、万骨ばんこつ る」のように、他の凡庸な佛師ぶっしたちによる駄作の山が築かれたことだろう。
 平安~鎌倉時代にも、当時なりの競争原理、市場経済はあったはずだ。
 依頼人たちはすぐれた作品を求めて、次々と運慶たちに製作を依頼し、凡庸な佛師たちとは次々に契約をやめていったに違いない。
 同時代の凡庸な佛師たちの中には、運慶たちの作品を見て、自己嫌悪に陥ったり、創作活動を放棄したりした者たちもいたことだろう。そして、その落ちこぼれたちを惹きつけ、救ったのが、「凡夫」「愚禿ぐとく」「悪人」を説く法然、親鸞たちの「念佛ねんぶつ」だったのではないか。

 「極楽浄土に行きたい。地獄はいやだ」という憧れと焦りが、運慶やその依頼人たちを駆り立て、あのような数々の名作を生んだのだろう。
 佛像ぶつぞうを作った運慶たちや作らせた依頼人たちと、「念佛をとなえる」ことのみを主張した同時代人、法然や親鸞たちは、一見180度異なっているようだが、浄土を目標とする点においては、同じ方向を向いていたのである。

(平成29(2017)年11月24日筆を基に微修正)