4月の徳目「合掌聞法」

 ご進級・ご入園、おめでとうございます。皆さまとともに新年度を迎えることができ、大変うれしく存じます。
 和光保育園は、昭和29(1954)年の4月8日「花祭り」の日に、私の祖父母である應善寺おうぜんじ先代住職=松岡義雄と、初代(先々代)園長=松岡きくの手によって生まれました。
 以来、60年以上にわたり、現・元の保護者、園児、理事、職員、行政や地域の人々、その他数多くの方々によって、ここまで育てられてまいりました。

 「和光」という名は「和光同塵わこうどうじん」(光をやわらげ、ちりと同じくす)、「自分だけ偉いと思う傲慢さ(光)をぎらつかせず、みんなと共に社会(塵)の中で生きていこう」という意味です。4月の徳目「合掌聞法」(手を合わせよう。話をよく聞こう)とも通じる謙虚さがあります。

 話を聞いてもらうには、先ず聞いてあげることです。子どもが「ねえ、見て見て!」「この前〇〇したんだよ!」と言ってきた時、大人が「本当!」「すごいねえ!」と肯定すれば、そこから、子どもは人を信頼し、人の話を聞くようになっていくのではないでしょうか。
 私は、乳幼児期がみんな仲良く、安心で、楽しく、物事に没頭でき、またほっとできる日々であってほしい、保育園をそういう場にしたい、と思っております。
 今年度もよろしくお願い申し上げます。

(『園だより』H30=2018年4 月号を基に微修正)

3月の徳目「智慧希望」

 メダルを取った羽生弓弦はにゅうゆづる、小平奈緒、女子パシュートの選手たちや、メダルを取れなかった選手たちが数々の話題を国民に提供する中、芸能に関するやや地味な報道がありました。

 「君と過ごせるこの日々を当たり前だとは思わない」「子どもを寝かしつけた時の安心感。手を握った時、永遠じゃないって思った。終わりが来ると思えば、全てがいとおしい」
 これは、出産・子育てを経て13年ぶりに活動を再開した、かつて朝ドラ『ちゅらさん』の主題歌を歌っていた歌手「キロロ」の言葉です(NHK『おはよう日本』より)。

 そう、全て、ものごとには終わりや別れがあります。
 三月は、進級・卒園の時季です。年長の子は、私たちのもとを離れていきます。年中児以下は、引き続き、居てくれますが、顔・体・心は一年前とは違っています。乳児はほほえましい喃語なんごをしゃべりますね。しかし、それは段々まともな言語に変わっていきます。大人になるということは(外から見て)「かわいらしさ」「面白さ」が減っていくことでもあります。
 また、この時季には、当園の象徴である辛夷こぶしと桜が咲き、そして、散っていきます。正直、さびしいです。しかし、散るからこそ、葉が出て、枝が伸び、実がみのり、木は大きくなっていくのです。「花」という字の中には、「変化」の「化」が入っています。この変化こそが成長なのです。
 保護者の皆さま、この一年間大変ありがとうございました。おかげさまで、当園も、卒園も含め、まもなくこの年度を終えようとしております。来年度も宜しくお願い申し上げます。

(『園だより』H30=2018年3月号より)

2月の徳目「禅定静寂」

 災害のため保育園に泊まることも想定し、私と防災係は、暖房無しの酷寒を、1月20日=大寒だいかんの未明から夜明けに体感たいかんしました。

 前夜(19日)には、地域各界の人々をお招きし、防災の話し合いをしました。発電機でライトをつけ、カセットボンベ・ストーブで暖を取り、カセット・コンロで湯を沸かし、インスタント・コーヒーを飲み、非常用羊羹ようかんなどを食べながらの話し合いは熱を帯び、人と人とのつながりが最大の防災になると感じました。

 その後、22日の大雪、23日以降の低温、水道の凍結、凍結後の水漏れや、それらへの対応と慌ただしい日々が続きました。
 一方、園児たちはいつもできない雪遊びができました。我々は、園から離れた場所の雪かきをしたり、用具を貸し借りしたりして、それまで話す機会の少なかった人とも会話できました。対応のため、先約を日延べして駆けつけてくれた業者さんもありました。

 佛教ぶっきょうの底に流れる思想は、人に対する信頼です。
 およそ2500年前、お釋迦しゃかさまの臨終が近づいた時、弟子たちは、「先生がいなくなったら、闇夜やみよも同前です。私たちは何を頼りに生きていけばよいのですか」と取り乱しました。
 お釋迦さまは答えます。「私きあとは、君たち自身をともしびとし、私の教えを灯としなさい。さすれば、道は照らされる。諸君、引き続き、はげみなさい」。
 2月15日は、お釋迦さまが亡くなった日「涅槃会ねはんえ」です。当園でも、この日を記念して、お参りをします。

(『園だより』H30=2018年2月号を基に微修正)

1月の徳目「和顔愛語」

 新年おめでとうございます。今年は平成(が一年間ある)最後の年。平成最初の年(1989年。天安門事件があった年)を当時滞在していた中国で迎えた私としては、真に感慨深いです。
 昨(2017)年末に、児童養護施設に『タイガー・マスク』の主人公名でランドセルを寄附していた河村正剛さんの活動が前橋市から支援されることになった、との報道がありました。
 河村さんは、幼時に母と死別し、親戚宅を転々とするなか、ランドセルも買ってもらえず、周囲の大人から「なぜ生まれてきたんだ。謝れ」と言われたことまであるそうです。
 ニュースで裁判の報道を見ていると、犯罪の加害者には、家庭環境の良くなかった人が多いです。一方、河村さんのように「脱線」しなかった人たちもまた多くいます。お釋迦しゃかさまも親鸞しんらんさまも、お母さまと乳幼児期に死別しています。
 この違いは何なのか。誰がその人を違う道に導いたのか。それは、親族、施設、地域など周辺の人ではないかと思うのです。保育園児やその保護者は、児童養護施設にかかわる人たちに比べれば恵まれていると思います。しかし、子育てと仕事の両立は大変なことです。そういう皆さんを側面からお助けする存在でなければ、保育園は意味がありません。
 世の中、笑って正月を迎えられる人ばかりではないでしょう。が、正月は先祖が考えてくれたリセットの機会です。自然に笑みが浮かぶのがベストですが、笑みを浮かべると自分も他人も得するからという「打算」でも良いと思います。「和顔愛語」で行きましょう。
 今年もよろしくお願い申し上げます。

(『園だより』H30=2018年1月号を基に微修正)