6月ごろだったか、ある園児とお迎えの時間帯にこんなやり取りをしました。
 「先生の子どもはいくつ?」
 「2歳だよ」
 「もう死んだ?」
 「まだ死んでないよ」
 あんた何てこと言うの!と慌てるお母さんの傍らで、私はその子と話を続けました。
 「でもね、人間はいつ死ぬかわからないから、先生はね、いつも死んでほしくないなぁって願っているんだよ」
 人はみな、自分のいとしい存在や自分自身がいつも元気でいるのが当たり前と思っています。

 しかし、当たり前は突然、崩れます。
 振り返れば、この夏も、大規模なことでは、西日本豪雨(物故者200人以上)、連日の猛暑(熱中症による物故者100人以上)、高速道路の橋崩落(同40人以上。イタリア)、個別的なことでは、留置場から男が脱走、医大入試で女子がすべて減点、ボクシングでダウンした選手が判定勝ちなど、いくつもの当たり前が崩れました。
 当たり前の崩壊は、いきなり不運にやって来る場合もあれば、ある程度の努力によって防げる場合もあります。

 人間は、ご先祖や他の人々や自然の恵みなど自分の力でない力のおかげで生きていますが、人間はまた不完全な存在であるゆえ、そのことに気がつきません。
 それで、そういう恩を忘れないよう心に刻みつけるため、「敬老の日」や「お彼岸」といった行事があるのです。

 「当たり前」の反対は「有ることが難しい」、そう「有りがとう」です。
 「みのりの秋」という言葉もあるように、秋は、いろいろなことがある充実した季節です。
 「報恩感謝」の気持ちをもって、2学期をスタートしましょう。

(『園だより』H30=2018年9月号の基となった文章)

追加:
 私に「子ども死んだ?」と質問してきたこの子の弟と、私の下の子は生年月日が一週間離れておらず、この子のお母さんと私の妻の病室は、同じ産婦人科の隣の隣の隣でした。
 この子は、もしかしたら、病院で胎児や乳児は死亡率が高いという話を耳にして、それで、こんな質問をしたのかもしれない、と後になって、思いました。

(平成31=2019年2月4日)