9月の徳目「報恩感謝」

 6月ごろだったか、ある園児とお迎えの時間帯にこんなやり取りをしました。
 「先生の子どもはいくつ?」
 「2歳だよ」
 「もう死んだ?」
 「まだ死んでないよ」
 あんた何てこと言うの!と慌てるお母さんの傍らで、私はその子と話を続けました。
 「でもね、人間はいつ死ぬかわからないから、先生はね、いつも死んでほしくないなぁって願っているんだよ」
 人はみな、自分のいとしい存在や自分自身がいつも元気でいるのが当たり前と思っています。

 しかし、当たり前は突然、崩れます。
 振り返れば、この夏も、大規模なことでは、西日本豪雨(物故者200人以上)、連日の猛暑(熱中症による物故者100人以上)、高速道路の橋崩落(同40人以上。イタリア)、個別的なことでは、留置場から男が脱走、医大入試で女子がすべて減点、ボクシングでダウンした選手が判定勝ちなど、いくつもの当たり前が崩れました。
 当たり前の崩壊は、いきなり不運にやって来る場合もあれば、ある程度の努力によって防げる場合もあります。

 人間は、ご先祖や他の人々や自然の恵みなど自分の力でない力のおかげで生きていますが、人間はまた不完全な存在であるゆえ、そのことに気がつきません。
 それで、そういう恩を忘れないよう心に刻みつけるため、「敬老の日」や「お彼岸」といった行事があるのです。

 「当たり前」の反対は「有ることが難しい」、そう「有りがとう」です。
 「みのりの秋」という言葉もあるように、秋は、いろいろなことがある充実した季節です。
 「報恩感謝」の気持ちをもって、2学期をスタートしましょう。

(『園だより』H30=2018年9月号の基となった文章)

追加:
 私に「子ども死んだ?」と質問してきたこの子の弟と、私の下の子は生年月日が一週間離れておらず、この子のお母さんと私の妻の病室は、同じ産婦人科の隣の隣の隣でした。
 この子は、もしかしたら、病院で胎児や乳児は死亡率が高いという話を耳にして、それで、こんな質問をしたのかもしれない、と後になって、思いました。

(平成31=2019年2月4日)

7・8月の徳目「布施奉仕」「自利利他」

 先月、国立市旭通り商店会の「ジューンフェスタ」に、職員たちとともにスタッフとして初めて参加させていただきました。
 催しそのものも、在園・卒園の親子や地域の人たちと交流する有意義なものでしたが、店長クラスによる打ち上げも印象深いものでした。
さすが、商店会らしく飲食店が多いので、フェスタで余った食材が料理に変身しました。
 会食後は、生ごみを減らすべく、近くのコンビニにタッパーを買いに行ったところ、売り切れていたのですが、店員さんが「おでん用のがあります」と、無料で提供してくれ、関係者みんなを感動させました。

 7月の徳目は「布施奉仕」(すすんで、人のためにする)、8月の徳目は「自利利他」(善いことは、自分のためにも他人のためにもなる)で、ニュアンスに違いはありますが、共通するのは、「人のために良いことをしよう」ということです。
 日々生活していてうれしい時というのは、
 「あなたのおかげで助かった。ありがとう」
 と言われ、
 「ああ、自分は人の役に立っている」
 と実感した時ではないでしょうか。

 7月にはお盆があります。お盆というのは、お釋迦しゃかさまの弟子の目連もくれんさまとそのお母さまが、自分たち親子の利益だけをはかり、他者の利益を考えなかったため、地獄のような苦しみを味わい、それが師匠お釋迦さまの導きで他人への奉仕や感謝を知り、ついに苦しみから脱出できた喜びを祝う催しです。

 8月には平和の日(当園独自の戦争を記憶する日)のお参りがあります。
 戦争は、人々の心の中にある我がままや欲ばりが限りなくふくれあがって、起こるものです。
 日ごろから「他の人の物を取ってはいけない」「自分のことだけを考えるのはやめよう」などの積み重ねをしていくしか、阻止の方法はありません。

 夏は、子どもも大人もまとまった休みを取れる時期です。先祖からもらっているこの命と体を大切にして、楽しい日々を過ごしましょう。

(『園だより』H30=2018年7・8月号の基となった文章)

6月の徳目「生命尊重」

 4月入園式の後、周辺の住宅の方々に挨拶してまわったところ、現園長白井千彰は知らないが、その祖父母・松岡きく先々代園長と松岡義雄先代住職なら存じ上げている、という方々がいらっしゃいました。そのうち1軒の方は、ご家庭でほたるを飼っておられるとのことで、先日5月25日に、私は見せていただきました。
 (成虫になってからは)1週間ほどでこの世を去る彼らが、全身を使って光を放ちながら飛ぶその姿には、小さくてもとても強い生命というものを感じました。

 一方、私たちは人間の生命も、またすごいものです。
 皆さんは、お子さんが生まれてくる時のことを覚えていらっしゃるでしょう。初めてエコーで、母親の体の中に母親とは別の心臓が動いているのをエコーで見聞きした時、生まれた直後に、もう、小さい足の指の爪が出来、髪の毛の一本一本まで生えていたのを見た時には、生命の驚異を感じられたはずです。
 そして、我々大人もそういう乳児の延長線上にこうして生きています。

 この世に生まれようとして生まれてきた人はいません。自分の命を作ったり買ってきたりした人もいません。命は、与えられたもの、お預かりしているもの、ゆだねられているものであり、そしていつか「お返し」するものなのです。

 先月、築地本願寺の「親鸞しんらんさまとこどものつどい」で、「親鸞さまは普通のこと、まっとうなこと、常識をわかったところが偉いのです。そして、そういう常識を身につけるには日ごろの『きれいなものをきれいと思う』『かわいそうなことをかわいそうと思う』という心が大事なのです、という旨のスピーチをさせていただきました。
 親鸞さまは、僧侶が結婚してはいけないのが「常識」とされていた時代に、法然ほうねん先生の御指導のもと、男女が結婚するという本当の常識を打ち立てました。その生涯にも、別段変わったことはなさっていません。

 当園で行なった「降誕会」(親鸞さま誕生日。5月21日)でも、園児たちは、僧侶が結婚できなかった当時に素朴な疑問を感じていました。
 親鸞さまと同じ年で、法然先生に対する法敵であった明恵みょうえさまは、修行の途次で自傷行為を行ない、同じく法然先生を激しく非難した貞慶じょうけいさまは、食事がおいしいと感じた時、これでは僧侶として堕落だと思い、ご飯に水をかけてわざとまずくしたそうです。
 それから800年がたち、今日も人々から親しまれているのは、当時「勝った」明恵・貞慶さまの側なのか、「負けた」法然・親鸞さまの側なのか。答は事実が示してくれています。

 そういう親鸞さまに共感する人々の中から應善寺が生まれ、更に和光保育園が誕生しました(1954年6月)。先々代の時代より、保護者や周囲の方々に支えられてきて、今年も創立記念日を迎えることができました。今後もよろしくお願い申しあげます。

(『園だより』H30=2018年6月号を基に改編)

5月の徳目「持戒和合」

 今月の徳目は「持戒和合」です。
 ただ、「持戒」(決まりを守る)はあくまでも「和合」(みんな仲良くする)のための手段です。この一線を忘れますと、「決まりを守れ」は、子どもたちに、ただ、やかましく、時には怖いものになってしまい、「仲良く」という肝腎かんじんな目的が達成できません。
 「持戒」のための「持戒」にならないよう気を付けましょう。

 5月には、親鸞しんらんさまの誕生日「降誕会ごうたんえ」もあります。
 親鸞さまは、比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじでの「戒律のための戒律」「修行のための修行」にあけくれる生活に疑問を感じ、もがき苦しんだあと、とうとうそれを否定して比叡山を飛び出しました。
 その後は、ご自分の作った和歌のごとく「身をにして」生涯しょうがい奮闘努力されたのでした。享年きょうねんは九十(数え年)。その健康管理には、我々現代人も多いに学ぶべきものがあります。

 さあ、お楽しみのゴールデン・ウイークがやって来ました。学校の生徒のように春休みも夏休みも無い保育園児たちも、この時ばかりは、まとめて休めます。
 なかなか体調の維持が難しい季節でもあります。先月18日(水)は当園でボイラーをつけるほど肌寒かったのに、3日後の21日(土)は夏日になってしまいました。体が慣れきっていないのか、特に0、1、2歳児で、鼻水の出ている子どもは今もいます。
 せっかくの黄金週間です。充実して過ごせるよう、また、遊び過ぎでその後ダウンすることも無いよう、ともに努めましょう。

(『園だより』H30=2018年5月号を基に一部改変)

 

4月の徳目「合掌聞法」

 ご進級・ご入園、おめでとうございます。皆さまとともに新年度を迎えることができ、大変うれしく存じます。
 和光保育園は、昭和29(1954)年の4月8日「花祭り」の日に、私の祖父母である應善寺おうぜんじ先代住職=松岡義雄と、初代(先々代)園長=松岡きくの手によって生まれました。
 以来、60年以上にわたり、現・元の保護者、園児、理事、職員、行政や地域の人々、その他数多くの方々によって、ここまで育てられてまいりました。

 「和光」という名は「和光同塵わこうどうじん」(光をやわらげ、ちりと同じくす)、「自分だけ偉いと思う傲慢さ(光)をぎらつかせず、みんなと共に社会(塵)の中で生きていこう」という意味です。4月の徳目「合掌聞法」(手を合わせよう。話をよく聞こう)とも通じる謙虚さがあります。

 話を聞いてもらうには、先ず聞いてあげることです。子どもが「ねえ、見て見て!」「この前〇〇したんだよ!」と言ってきた時、大人が「本当!」「すごいねえ!」と肯定すれば、そこから、子どもは人を信頼し、人の話を聞くようになっていくのではないでしょうか。
 私は、乳幼児期がみんな仲良く、安心で、楽しく、物事に没頭でき、またほっとできる日々であってほしい、保育園をそういう場にしたい、と思っております。
 今年度もよろしくお願い申し上げます。

(『園だより』H30=2018年4 月号を基に微修正)

3月の徳目「智慧希望」

 メダルを取った羽生弓弦はにゅうゆづる、小平奈緒、女子パシュートの選手たちや、メダルを取れなかった選手たちが数々の話題を国民に提供する中、芸能に関するやや地味な報道がありました。

 「君と過ごせるこの日々を当たり前だとは思わない」「子どもを寝かしつけた時の安心感。手を握った時、永遠じゃないって思った。終わりが来ると思えば、全てがいとおしい」
 これは、出産・子育てを経て13年ぶりに活動を再開した、かつて朝ドラ『ちゅらさん』の主題歌を歌っていた歌手「キロロ」の言葉です(NHK『おはよう日本』より)。

 そう、全て、ものごとには終わりや別れがあります。
 三月は、進級・卒園の時季です。年長の子は、私たちのもとを離れていきます。年中児以下は、引き続き、居てくれますが、顔・体・心は一年前とは違っています。乳児はほほえましい喃語なんごをしゃべりますね。しかし、それは段々まともな言語に変わっていきます。大人になるということは(外から見て)「かわいらしさ」「面白さ」が減っていくことでもあります。
 また、この時季には、当園の象徴である辛夷こぶしと桜が咲き、そして、散っていきます。正直、さびしいです。しかし、散るからこそ、葉が出て、枝が伸び、実がみのり、木は大きくなっていくのです。「花」という字の中には、「変化」の「化」が入っています。この変化こそが成長なのです。
 保護者の皆さま、この一年間大変ありがとうございました。おかげさまで、当園も、卒園も含め、まもなくこの年度を終えようとしております。来年度も宜しくお願い申し上げます。

(『園だより』H30=2018年3月号より)

2月の徳目「禅定静寂」

 災害のため保育園に泊まることも想定し、私と防災係は、暖房無しの酷寒を、1月20日=大寒だいかんの未明から夜明けに体感たいかんしました。

 前夜(19日)には、地域各界の人々をお招きし、防災の話し合いをしました。発電機でライトをつけ、カセットボンベ・ストーブで暖を取り、カセット・コンロで湯を沸かし、インスタント・コーヒーを飲み、非常用羊羹ようかんなどを食べながらの話し合いは熱を帯び、人と人とのつながりが最大の防災になると感じました。

 その後、22日の大雪、23日以降の低温、水道の凍結、凍結後の水漏れや、それらへの対応と慌ただしい日々が続きました。
 一方、園児たちはいつもできない雪遊びができました。我々は、園から離れた場所の雪かきをしたり、用具を貸し借りしたりして、それまで話す機会の少なかった人とも会話できました。対応のため、先約を日延べして駆けつけてくれた業者さんもありました。

 佛教ぶっきょうの底に流れる思想は、人に対する信頼です。
 およそ2500年前、お釋迦しゃかさまの臨終が近づいた時、弟子たちは、「先生がいなくなったら、闇夜やみよも同前です。私たちは何を頼りに生きていけばよいのですか」と取り乱しました。
 お釋迦さまは答えます。「私きあとは、君たち自身をともしびとし、私の教えを灯としなさい。さすれば、道は照らされる。諸君、引き続き、はげみなさい」。
 2月15日は、お釋迦さまが亡くなった日「涅槃会ねはんえ」です。当園でも、この日を記念して、お参りをします。

(『園だより』H30=2018年2月号を基に微修正)

1月の徳目「和顔愛語」

 新年おめでとうございます。今年は平成(が一年間ある)最後の年。平成最初の年(1989年。天安門事件があった年)を当時滞在していた中国で迎えた私としては、真に感慨深いです。
 昨(2017)年末に、児童養護施設に『タイガー・マスク』の主人公名でランドセルを寄附していた河村正剛さんの活動が前橋市から支援されることになった、との報道がありました。
 河村さんは、幼時に母と死別し、親戚宅を転々とするなか、ランドセルも買ってもらえず、周囲の大人から「なぜ生まれてきたんだ。謝れ」と言われたことまであるそうです。
 ニュースで裁判の報道を見ていると、犯罪の加害者には、家庭環境の良くなかった人が多いです。一方、河村さんのように「脱線」しなかった人たちもまた多くいます。お釋迦しゃかさまも親鸞しんらんさまも、お母さまと乳幼児期に死別しています。
 この違いは何なのか。誰がその人を違う道に導いたのか。それは、親族、施設、地域など周辺の人ではないかと思うのです。保育園児やその保護者は、児童養護施設にかかわる人たちに比べれば恵まれていると思います。しかし、子育てと仕事の両立は大変なことです。そういう皆さんを側面からお助けする存在でなければ、保育園は意味がありません。
 世の中、笑って正月を迎えられる人ばかりではないでしょう。が、正月は先祖が考えてくれたリセットの機会です。自然に笑みが浮かぶのがベストですが、笑みを浮かべると自分も他人も得するからという「打算」でも良いと思います。「和顔愛語」で行きましょう。
 今年もよろしくお願い申し上げます。

(『園だより』H30=2018年1月号を基に微修正)

運慶(うんけい)展を見て

 運慶うんけい一族は結婚する僧侶だった。父康慶こうけいが結婚して運慶が生まれ、運慶自身も結婚して複数の子をもうけた。その一人湛慶たんけいは、親鸞しんらんと同い年だった(1173年生まれ)。
 親鸞の「結婚」という現象は、決して「無から有」のようにいきなり現れたのではなく、僧侶が結婚しつつあるという当時の社会情勢の中から生まれたのである。
 これが「僧侶が結婚する宗派」=浄土真宗を生み、更には、今日にいたるまで、日本佛教ぶっきょう全体に広がったのである。

 運慶たちの傑作の裏には、「一将いっしょう 功成こうなりて、万骨ばんこつ る」のように、他の凡庸な佛師ぶっしたちによる駄作の山が築かれたことだろう。
 平安~鎌倉時代にも、当時なりの競争原理、市場経済はあったはずだ。
 依頼人たちはすぐれた作品を求めて、次々と運慶たちに製作を依頼し、凡庸な佛師たちとは次々に契約をやめていったに違いない。
 同時代の凡庸な佛師たちの中には、運慶たちの作品を見て、自己嫌悪に陥ったり、創作活動を放棄したりした者たちもいたことだろう。そして、その落ちこぼれたちを惹きつけ、救ったのが、「凡夫」「愚禿ぐとく」「悪人」を説く法然、親鸞たちの「念佛ねんぶつ」だったのではないか。

 「極楽浄土に行きたい。地獄はいやだ」という憧れと焦りが、運慶やその依頼人たちを駆り立て、あのような数々の名作を生んだのだろう。
 佛像ぶつぞうを作った運慶たちや作らせた依頼人たちと、「念佛をとなえる」ことのみを主張した同時代人、法然や親鸞たちは、一見180度異なっているようだが、浄土を目標とする点においては、同じ方向を向いていたのである。

(平成29(2017)年11月24日筆を基に微修正)

12月の徳目「忍辱持久」

 今からおよそ2500年前の12月8日、お釋迦しゃかさまはお悟りを開いて佛陀ぶっだとなられ、ここに佛教ぶっきょうの歴史が始まりました。この日を「成道会じょうどうえ」と言います。
 そのお悟りの内容には、「忍辱にんにく持久」(つらいことに耐える)、「四苦八苦」(生老病死はいずれも苦しみ)、「少欲知足」(ちょっと我慢する)などがあります。
 確かに、生きていくことは苦しいことです。しかし、死ぬことも苦しい。どちらか片方がいやだから、もう片方に行けばよいというわけにはいかないのです。
 親鸞しんらんさまの先輩=熊谷直実くまがいなおざねさまは、かつて苦悩のあまり自殺しようとしましたが、その前に、法然ほうねん先生のお話を聞いて思いとどまり、法然門下に入ったあとは、一転、僧侶として充実した日々を過ごしました。
 今社会を震撼しんかんさせている座間の事件を思うと、一番悪いのはもちろん加害者ですが、被害者や国民全般も含めて、社会から佛教の教えが薄らいでいる感じがいたします。
 生きていくと、嫌なこと、悲しいこと、つらいことがいろいろと身の上に降りかかってきます。それらに振り回されない静かで強い心が、お釋迦さまの説いた「忍辱持久」です。
 切れず、くさらず、優しい心を持ち、穏やかに明るく話す子・人には、他の子・人たちが寄りそってきます。それは、幸せの第一歩でしょう。
 お釋迦さまの生き方やお言葉を、かすかいなかは我々一人一人にかかっています。
 成道会、みんなで楽しく、お祝いいたしましょう。

(『園だより』H29=2017年12月号より)