3月の徳目「智慧希望(ちえきぼう)」

 月日が経つのは早いもので、今年度も最後の1か月を迎えることとなりました。
 すみれ組は保育園と、他のクラスもそれぞれ今のクラスとお別れです。

 保育園は、生きることを助ける所です。
 大人で言えば、保護者の就労その他を支えて、生活を応援する機関です。
 子どもで言えば、三つの「園目標」のもと、園児にこれからの人生に必要なことを伝える施設です。
 このうち、「自分で考え、自分で行動できる子ども」は、今月の徳目「智慧希望」と重なります。

 先月には、涅槃会ねはんえ(お釋迦しゃかさまの命日)のお参りがありました。お釋迦さまの逝去を前に、
 「先生が亡くなったら、私たちの行く道は真っ暗です。これから、どうすればよいのですか」
 と動揺するお弟子さまたちに、お釋迦さまが
 「私が教えたことと君たち自身という二つの灯を信じていけば、道は明るく照らされる」
 との言葉をお残しになりました。
 お釋迦さまを送り出すはずだったお弟子さまたちが、逆に、送り出される形となったのです。
 私たち大人も、子どもを教える立場にありながら、日常、子どもから教えられることが多々あるのは、誰でも経験のあることだと思います。

 年度末の「大きくなったお祝い会」では、狼に出会った子羊が智慧を絞って危機を脱出するお話『こひつじとつの笛』を上演する予定です。

 保護者の皆さま、この一年間大変ありがとうございました。
 職員たちも尽力してまいりました。おかげさまで、当園も、まもなく本年度を終えようとしております。
 来年度も宜しくお願い申し上げます。

(『園だより』平成31=2019年3月号の基となった文章)

節分「阿弖流爲(あてるい)・ 母禮(もれ)の碑」

鬼か、人か。「節分」を前に阿弖流爲あてるい母禮もれの碑を思い出す。

 今から1200年前、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろは、蝦夷えみしを「鬼」と称して総攻撃した。
 浜に打ちつけられたたくさんの鬼の首は、時間が経つと、人の首に変わったという。
 それを見た田村麻呂たちは、自分たちこそ鬼だったと知ったに違いない。

 田村麻呂は、みやこ凱旋がいせんしたのち、蝦夷えみしの首領⁼阿弖流為あてるい母礼もれ命乞いのちごいをしたが、朝廷より認められなかった。

 阿弖流為あてるいを称える石碑は、今、清水寺きよみずでらの舞台の下に立っている。

 「この碑を京都や東京の人は知らないですが、岩手の人はみな知っています。」

 保育園の節分を前に、「鬼」のことを考えていたら、以前京都に旅行した際にガイドをしてくれた運転手さんの言葉を思い出した。

(平成31(2019)年1月30日筆)

 和光保育園の節分では、鬼(役の人)に豆をぶつけません。鬼も子どもたちを脅かしません。
 そもそも、人か鬼か、自分か他人か、というのは絶対的に分かれるものではありません。

 鬼がどこにいるのか、と言えば、みんなそれぞれの心の中にいるわけですから、自分の外のものを想定して、それに豆を投げつけても意味は無いのです。
 それどころか、鬼役の人に豆をぶつけることに、もし快感でも覚えるようなことがあったら、それこそ鬼の心が目覚めることになってしまいます。

 (蝦夷えみしは、昔、岩手に住んでいた民族だが、大和民族によって滅ぼされた。

   清水寺のアテルイ・モレの碑の写真

 首領アテルイは色々な俳優が演じている。

   大沢たかお   市川染五郎   宝塚歌劇団

2月の徳目「禅定静寂(ぜんじょうせいじゃく)」

 皆様のご理解と職員たちの尽力により、当和光保育園は、「中学生職場体験」に功労ある事業所の一つとして、東京都より、表彰されました(2019年1月18日)。

 都庁での式典では、都の青少年治安対策本部長が、
 「青年たちがニートや引きこもりにならないよう、本事業は始まった」
 と説明されていました。

 まこと、子どもたちには、悔いの無い人生を送らせたいものです。

 今月には、涅槃会ねはんえ(2月15日。お釋迦しゃかさまの命日)があります。
 お釋迦さまは、
 「この世は美しい。甘美な人生だった
 との言葉をのこされたそうです。

 先月、著名な親鸞しんらんさま研究家⁼梅原猛うめはらたけし氏が、93歳で往生なさいました(1月12日)。
 氏の遺作となった、
 『親鸞「四つの謎」を解く』(新潮社)
 の「はじめに」を開くと、
 「私が今日まで生き長らえることができたのは、神仏が私に、あるいは国家のためにあるいは人類のために何かをやらせたいためではないかと思っている
 との言葉が目と心に飛びこんできます。

 今は、ちょうど受験のシーズンですが、大学や専門学校に入るための最大の「受験勉強」は、小学校のうちから日ごろの授業をきちんと受けることです。
 受験だけではありません。乳幼児の着脱、排泄、食事、睡眠、遊びのルール等々、小さな一つ一つのことは、彼らのこれからの生き方に関わってきます。人生の入口たる保育園では年度の締めくくりの時季を迎えます。よく考え、落ち着いた暮らしをしましょう。

   「中学生職場体験表彰」に関する国立市のページ

   「中学生職場体験表彰」に関する東京都のページ

   梅原猛『親鸞「四つの謎」を解く』新潮社の公式サイト、目次付き

(『園だより』平成31=2019年2月号を基に微修正)

1月の徳目「和顔愛語(わげんあいご)」

タイ 「普頌皇恩寺(Wat Leng Noei Yi)」の観音菩薩像

 あけましておめでとうございます。
 皆さまとともにまた新年を迎えられ、たいへん嬉しく存じます。

 今月の徳目は、正月にふさわしい「和顔愛語」です。
 そう、子どもも大人も明るい笑顔と優しい言葉がほしいのです。

 「慈悲」と「智慧」の象徴は、それぞれ観音菩薩と勢至菩薩せいしぼさつですが、日本や近隣アジア各国で、観音さまのお像はたくさんあるのに、勢至さまのお像はほとんど見たことがありません。そもそも「セイシボサツ」という言葉さえ知らない人がけっこういるのではないでしょうか。
 「智慧も良いですけど、そんなことより、先ず、お慈悲をくだされ!」というのが庶民の素朴な心情なのではないでしょうか。

 子どもは、大人が大好きです。私でさえ、保育室に行けば、子どもたちは「園長先生!」と呼んで近づいてきます。まして、日ごろおむつ換えほか現場の数々の仕事をしている保育士なら、なおさらです。家でも、「ママ!」「パパ!」と呼びながら後ろから追いかけ、抱き着いてくるのではないですか。

 人間には、できることとできないことがあります。地球に太陽の周りを一周させて、年を作ること。これはできません。その一年間生きてきたことに感謝し、元旦をリセットの日として、和顔愛語の新たなる一日目とすること。これなら、できます。
 昨年、順調だった人にも、そうでなかった人にも、朝日は同じように昇ってきました。
 今年も一年間よろしくお願い申し上げます。

(『園だより』平成31=2019年1月号を基に改編)

12月の徳目「忍辱持久(にんにくじきゅう)」

 今月には、およそ2500年前の12月8日、お釋迦しゃかさまがお悟りを開いた成道会じょうどうえをお祝いする生活発表会があり、子どもたちは、連日、遊びを楽しんだり、練習に励んだりしています。

 さて、お悟りの内容の中には「四苦八苦」や「一切皆苦」もあります。

 先月、職場体験の中学生たちが務めを終えて帰る時、彼らに言葉をおくりました。

 「これからの人生では必ず苦しい時がやって来る。その時、『人生は苦しいもの』ということを知っていれば、(苦しいものは苦しいが)、『なぜこんな目に遭うんだ』という疑問は節約できる。悪あがきをせず、冷静に耐え忍んでいけば、やがて必ず出口は見えてくる」と。

 お釋迦さまでさえ、随分と悩みました。
 お悟りを開いた後でさえ、悩んだのです。
 「この素晴らしい悟りの内容を、人々に伝えてよいものか。彼らは理解できず、かえって、混乱してしまうのではないのか」と。
 そう。全てを悟ってしまったゆえ、人間が愚かであることも悟ってしまったのです!
 結局、四十九日しじゅうくにち後、宇宙の原理である梵天ぼんてんさまが現れ、その勧めを受けて、「よしっ!」と菩提樹の下の座から立ち上がり、説法を始めました。

 40年くらい前でしたか、大変話題になったテレビ・コマーシャルに、作家の野坂昭如さんが、ウイスキーの瓶とグラスを手に、踊りながら歌う歌がありました。

♪ ソ・ソ・ソクラテスか プラトンか。
  二・二・ニーチェか サルトルか。
  みんな悩んで大きくなった。
  (大きいわ、大物よ。)
  俺もお前も 大物だ! ♪

 今年も、皆さんそれぞれ色々なことがあったと思います。
 平成最後の年末年始を、どうぞ憩うてください。

 ※ CMソング『みんな悩んで大きくなった』は、下記他を参照
   https://www.youtube.com/watch?v=SwzQkt56T6Y

(『園だより』平成30=2018年12月号を基に改編)

11月の徳目「精進努力」

 「精進努力」の賜物たまものである運動会を見事に成しげた子どもたちは、その後も、日常、保育園で、楽しみ、喜び、また頑張っています。
 勉強や技術、技能など結果が目に見えるものも大事ですが、もっと重要なのは、飲食、着脱、排泄、生活リズム形成、言いたいことを言葉で伝える、話を聞く、新しいことに挑戦する、最後までものごとをやり遂げるなど、生活に関することです。
 11月には、親鸞しんらんさまが旧暦11月28日(1263年)に亡くなったことから、その御恩ごおんに報いるもよおし「報恩講ほうおんこう」があります。
 親鸞さまは、「(自分を始め)人はみな凡人、人はみな愚か。そんな自分たちでもほとけさまは救ってくださるのだから、ありがたい」ということを述べられ、ご著書『正信偈しょうしんげ』には、「喜」と「楽」の字がしばしば出てきます。この嬉しさが起点となって、「ほとけさまや先達せんだつたちの御恩に粉骨砕身ふんこつさいしんしてむくいたい」という気持ちを起こされ、それを生涯、実行されたのでした。
 私たち大人は、先ず、子どもを愛することです。子どもは「自分は愛されている!」と実感した時、それが起点となって、そこから「頑張ろう!」という気持ちが生まれます。
 秋は文化、芸術、スポーツその他いろいろな活動にふさわしい季節です。子どもと一緒に日々を喜び、楽しみ、がんばりましょう。

(『園だより』平成30=2018年11月号より)

10月の徳目「同事協力」

 秋分の日の連休には、應善寺のお彼岸に参列して、今年一人増えた家族とともに、昨年故人となった親族を含む一族のお墓参りをし、旭通り商店会のお祭りでは、挨拶されるまで分からなかったほど大きくなった卒園児を含め、複数の在園児卒園児親子とお会いしました。

 園のお彼岸参りでは、お釋迦しゃかさまの生まれ変わり物語を素材にした絵本『みんなでたすけたひなどり』(すずき出版)を読み聞かせしました。仲間の鷹のひな鳥が猟師に捕まりそうになると、鳥の王さまみさご、鷹の父母、大亀、ライオンが力を合わせて、ひな鳥を守った、というお話です。

 「同事協力」は10月の徳目でもあります。
 今年も国立第3小学校のご好意をたまわり、初めて校庭(雨天時は体育館)で運動会を実施します。
 当園の三つの目標の一つ「自分を大切にし、お友だちを大切にする子」には、社会性のある人に育ってほしいという思いが込められています。
 保育という集団の場には、家庭だけでは得難い、他者との協力の機会がたくさんあります。
 保育園で大切なのは、もちろん、日常保育ですが、それと同じ線上にあり日常とは違う娯楽性も味わえるのが行事です。
 どうぞ、今年も皆さんで「みんなで力を合わせて楽しむ運動会」をお楽しみください。

(『園だより』平成30=2018年10月号の原稿を基に一部改編)

9月の徳目「報恩感謝」

 6月ごろだったか、ある園児とお迎えの時間帯にこんなやり取りをしました。
 「先生の子どもはいくつ?」
 「2歳だよ」
 「もう死んだ?」
 「まだ死んでないよ」
 あんた何てこと言うの!と慌てるお母さんの傍らで、私はその子と話を続けました。
 「でもね、人間はいつ死ぬかわからないから、先生はね、いつも死んでほしくないなぁって願っているんだよ」
 人はみな、自分のいとしい存在や自分自身がいつも元気でいるのが当たり前と思っています。

 しかし、当たり前は突然、崩れます。
 振り返れば、この夏も、大規模なことでは、西日本豪雨(物故者200人以上)、連日の猛暑(熱中症による物故者100人以上)、高速道路の橋崩落(同40人以上。イタリア)、個別的なことでは、留置場から男が脱走、医大入試で女子がすべて減点、ボクシングでダウンした選手が判定勝ちなど、いくつもの当たり前が崩れました。
 当たり前の崩壊は、いきなり不運にやって来る場合もあれば、ある程度の努力によって防げる場合もあります。

 人間は、ご先祖や他の人々や自然の恵みなど自分の力でない力のおかげで生きていますが、人間はまた不完全な存在であるゆえ、そのことに気がつきません。
 それで、そういう恩を忘れないよう心に刻みつけるため、「敬老の日」や「お彼岸」といった行事があるのです。

 「当たり前」の反対は「有ることが難しい」、そう「有りがとう」です。
 「みのりの秋」という言葉もあるように、秋は、いろいろなことがある充実した季節です。
 「報恩感謝」の気持ちをもって、2学期をスタートしましょう。

(『園だより』H30=2018年9月号の基となった文章)

追加:
 私に「子ども死んだ?」と質問してきたこの子の弟と、私の下の子は生年月日が一週間離れておらず、この子のお母さんと私の妻の病室は、同じ産婦人科の隣の隣の隣でした。
 この子は、もしかしたら、病院で胎児や乳児は死亡率が高いという話を耳にして、それで、こんな質問をしたのかもしれない、と後になって、思いました。

(平成31=2019年2月4日)

7・8月の徳目「布施奉仕」「自利利他」

 先月、国立市旭通り商店会の「ジューンフェスタ」に、職員たちとともにスタッフとして初めて参加させていただきました。
 催しそのものも、在園・卒園の親子や地域の人たちと交流する有意義なものでしたが、店長クラスによる打ち上げも印象深いものでした。
さすが、商店会らしく飲食店が多いので、フェスタで余った食材が料理に変身しました。
 会食後は、生ごみを減らすべく、近くのコンビニにタッパーを買いに行ったところ、売り切れていたのですが、店員さんが「おでん用のがあります」と、無料で提供してくれ、関係者みんなを感動させました。

 7月の徳目は「布施奉仕」(すすんで、人のためにする)、8月の徳目は「自利利他」(善いことは、自分のためにも他人のためにもなる)で、ニュアンスに違いはありますが、共通するのは、「人のために良いことをしよう」ということです。
 日々生活していてうれしい時というのは、
 「あなたのおかげで助かった。ありがとう」
 と言われ、
 「ああ、自分は人の役に立っている」
 と実感した時ではないでしょうか。

 7月にはお盆があります。お盆というのは、お釋迦しゃかさまの弟子の目連もくれんさまとそのお母さまが、自分たち親子の利益だけをはかり、他者の利益を考えなかったため、地獄のような苦しみを味わい、それが師匠お釋迦さまの導きで他人への奉仕や感謝を知り、ついに苦しみから脱出できた喜びを祝う催しです。

 8月には平和の日(当園独自の戦争を記憶する日)のお参りがあります。
 戦争は、人々の心の中にある我がままや欲ばりが限りなくふくれあがって、起こるものです。
 日ごろから「他の人の物を取ってはいけない」「自分のことだけを考えるのはやめよう」などの積み重ねをしていくしか、阻止の方法はありません。

 夏は、子どもも大人もまとまった休みを取れる時期です。先祖からもらっているこの命と体を大切にして、楽しい日々を過ごしましょう。

(『園だより』H30=2018年7・8月号の基となった文章)

6月の徳目「生命尊重」

 4月入園式の後、周辺の住宅の方々に挨拶してまわったところ、現園長白井千彰は知らないが、その祖父母・松岡きく先々代園長と松岡義雄先代住職なら存じ上げている、という方々がいらっしゃいました。そのうち1軒の方は、ご家庭でほたるを飼っておられるとのことで、先日5月25日に、私は見せていただきました。
 (成虫になってからは)1週間ほどでこの世を去る彼らが、全身を使って光を放ちながら飛ぶその姿には、小さくてもとても強い生命というものを感じました。

 一方、私たちは人間の生命も、またすごいものです。
 皆さんは、お子さんが生まれてくる時のことを覚えていらっしゃるでしょう。初めてエコーで、母親の体の中に母親とは別の心臓が動いているのをエコーで見聞きした時、生まれた直後に、もう、小さい足の指の爪が出来、髪の毛の一本一本まで生えていたのを見た時には、生命の驚異を感じられたはずです。
 そして、我々大人もそういう乳児の延長線上にこうして生きています。

 この世に生まれようとして生まれてきた人はいません。自分の命を作ったり買ってきたりした人もいません。命は、与えられたもの、お預かりしているもの、ゆだねられているものであり、そしていつか「お返し」するものなのです。

 先月、築地本願寺の「親鸞しんらんさまとこどものつどい」で、「親鸞さまは普通のこと、まっとうなこと、常識をわかったところが偉いのです。そして、そういう常識を身につけるには日ごろの『きれいなものをきれいと思う』『かわいそうなことをかわいそうと思う』という心が大事なのです、という旨のスピーチをさせていただきました。
 親鸞さまは、僧侶が結婚してはいけないのが「常識」とされていた時代に、法然ほうねん先生の御指導のもと、男女が結婚するという本当の常識を打ち立てました。その生涯にも、別段変わったことはなさっていません。

 当園で行なった「降誕会」(親鸞さま誕生日。5月21日)でも、園児たちは、僧侶が結婚できなかった当時に素朴な疑問を感じていました。
 親鸞さまと同じ年で、法然先生に対する法敵であった明恵みょうえさまは、修行の途次で自傷行為を行ない、同じく法然先生を激しく非難した貞慶じょうけいさまは、食事がおいしいと感じた時、これでは僧侶として堕落だと思い、ご飯に水をかけてわざとまずくしたそうです。
 それから800年がたち、今日も人々から親しまれているのは、当時「勝った」明恵・貞慶さまの側なのか、「負けた」法然・親鸞さまの側なのか。答は事実が示してくれています。

 そういう親鸞さまに共感する人々の中から應善寺が生まれ、更に和光保育園が誕生しました(1954年6月)。先々代の時代より、保護者や周囲の方々に支えられてきて、今年も創立記念日を迎えることができました。今後もよろしくお願い申しあげます。

(『園だより』H30=2018年6月号を基に改編)