送迎用駐車場について

應善寺のお墓に関する工事が本日10月15日(金)より始まりました。

それに伴いまして、和光保育園の送迎用駐車場を工事車両が使用するために、駐車場の場所が変わります。

新しい駐車場は、現在の駐車場の向かいにある「應善寺第2駐車場」になります。

工事終了は12月末を予定しています。しばらくの間、保護者・業者の皆様にはご迷惑とご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

施設見学について

新型コロナウイルス流行に沈静化傾向が見られるまでは、真に申しわけございませんが、中止とさせていただきます。
今後の情勢により、開始する場合は、本ホームページにおいて、その旨、発表いたします。

 

こぶしの赤ちゃんがやって来ました。古いこぶしは佛(ほとけ)さまに生まれ変わりました。

 先日(令和3年3月14日)、以前こぶしがあった場所に新しいこぶしの苗木を、藤佐伯ふじさえき造園さんに植えていただきました。

 翌日(15日)には、以前あったこぶしの木材を使って、仏師 西除闇にし・じょあんさんに手彫りの釋迦しゃかさまの像を納めていただきました。

 このお像は、昼・晴の時は、新こぶしの前(花壇の中)に、夜・雨の時は、玄関入ってすぐ右の靴箱の上に、暫くの間、安置いたします。 拝む場合は、「自分に何々をください」ではなく、「お早うございます」「ありがとうございました」の気持ちで、手を合わせていただければ幸いです。

 西除闇さんは以前、はとさんにあった木に佛像を彫られた方でもあります。

副理事長 白井千彰ちあき

卒園する子どもたちと保護者の方々に贈る言葉(令和2=2020年3月)

 年長組の皆さん !  卒園おめでとうございます!

 でも、どうして「おめでとう」と言うのでしょうか?  

 皆さんは、赤ちゃんを知っているでしょう。赤ちゃんは始め、食べ物を噛んで食べることも歩くこともしゃべることもできませんでした。

 皆さんもそうでした。
 でも、いつも見えない不思議な恵みの力がみんなには働いていて、体がだんだん大きくなり、お父さん、お母さんや先生たちや周りの色々な人たちに助けられ、君たち自身も頑張って、今のように色々なことができるようになったのです。

 みんなは、「令和」の最初の卒園児です。
 「令和」という言葉の出てくる大昔の本『万葉集』にたくさん文章を書いた人に、山上憶良やまのうえのおくらさんという人がいました。憶良さんは、自分の子どもが大好きで、可愛くて、
 「金も銀も宝石もたいしたことはない。子どもほど素晴らしい宝物はないのだから」
 という歌を書きました。

 君たちを思うお父さん、お母さんたちの気持ちは憶良さんと同じです。
 この憶良さんは、自分の子どもと一番悲しい、親にとって一番いやなお別れの仕方もしています。
 でも、今は病気も少なくなり、みんなはこうして生きてきて、今日、無事に卒園できました。ですから、本当にめでたいのです。

 さて、今年も保護者の皆さまには人生のあん・いん・うん・えん・おんのお話をいたします。
 「あん」は「安心、安全、安穏あんのん」の「安」です。子どもたちには幸せになってほしい。みんな、そのために生きていると言ってもよいでしょう。
 いんは「原因、因果」の「因」です。良い結果、良くない結果には、みな良い原因、良くない原因があります。だから、人は勉強や努力をします。
 「うん」は「運命、幸運、不運」の「運」です。生きていると思いがけないことも起こります。ですから、病気・事故・災害・犯罪等への備えも必要です。
 「えん」は「ご縁」の「縁」です。私たちがこうして巡り会えたのは、私たちを引き合わせようという見えない力が働いているからなのです。
 「おん」は「ご恩」の「恩」です。そういうすべての他の人や自然の恵みのおかげで私たちは生きているので、そのご恩に感謝しましょう。

 卒園児、保護者の皆さん。
 私は、皆さんとお会いできて、とてもうれしかったです。4月からは毎日会うことはできませんが、お互い近くに住んでいます。いつでも、来てくださいね。
 本当にありがとうございました。 

(和光保育園『卒園文集』令和2年=2020年3月「園長の言葉」を基に作成)

3月の徳目「智慧希望」(心の傷に寄り添う)

 東日本大震災(平成23=2011年3月11日)9周年も近づく最近、(放映途中で気づいたのですが、)
 『心の傷に寄り添う~訪問型ケアの現場から~」(令和2=2020年2月16日、NHK総合)という良い番組に巡りあうことができました。
 その中で、当時、福島から避難した元福祉施設職員、およびその人をケアする医師の話が心に残りました。

 その元職員は、現地に残った入所者や同僚たちもいるのに、自分が逃げたという罪悪感にとらわれ、苦しみ続けています。
 そんな中、その医師は、彼が、実は、避難先の山形で他の避難者たちを助けていたことを発見し、それを治療に用い、彼に立ち直りのきっかけを与えたという話です。

 この時、医師が彼に、ただ「あなたは悪くないよ。避難したのは当然の行為だよ」と言っただけでは、恐らく、彼は「でも、私は間違いなく逃げてしまったんだ」と自分を責め続け、心の病気もそのままだったでしょう。
 しかし、この医師には「慈悲」と「智慧」があり、本人の「他者援助」という事実を使いました。その結果、彼には回復という「希望」が見えてきたのです。

 この番組のエンディングでも、たまたま、同じ日に催された應善寺おうぜんじでのバイオリン・コンサート(令和2=2020年2月16日)でも『花は咲く』が演奏され、以前、当園の「成道会生活発表会」で、当時の園長や職員たちとこの歌を歌ったことも思い出しました。

 「誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる 誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に」(作詞:岩井俊二,作曲:菅野よう子『花は咲く』より)

 当園では、この別れと出会いの時季に、こぶし、ついで桜の花が咲き、散り、年度が始まり、また咲いていきます。

 親が子どもが大好きなのと同じように、子どもも親が大好きです。
 保護者の皆さま、この一年間もかけがえのないお子さんをお預けくださり、大変ありがとうございました。職員たちも尽力してまいりました。
 来年度もまたよろしくお願い申し上げます。

(『園だより』令和2=2020年3月号の基となった文章に若干修正を加えたもの)

2月の徳目「禅定静寂」(良く考え、落ち着いた暮らしをしよう)

 今月には、「節分」があります。
 当園の節分では、鬼に豆をぶつけません。鬼も子どもたちを脅かしません。
 そもそも、「人か鬼か」「自分か他人か」ということは、絶対的に分けられるものではないのです。
 「鬼はどこにいるか?」と問われれば、「みんなそれぞれの心の中にいる」というのが答です。
 ですから、外に敵役かたきやくを想定して、それに豆を投げつけても意味は無いのです。それどころか、鬼役の人に豆をぶつけることに、もし快感でも覚えるようなことがあったら、それこそ自分の中に、「鬼の心」が目覚めることになってしまいます。
 (私の以前の文章:『鬼か、人か。「節分」を前に阿弖流爲あてるい母禮もれの碑を思い出す』もお読みください)。

 もう一つ、2月には、涅槃会ねはんえもあります。
 ただ、その前に、『子らを思ふ歌』のことを少し述べさせてください。
 最近、テレビの子ども番組『にほんごであそぼ』で、全盲の音楽家 木下航志きしたこうしさんがソウル音楽にして弾き歌いした万葉歌人 山上憶良やまのうえのおくら 『子らを思ふ歌』を聞いて感動したのです。

 「いづくより来たりしものぞ(可愛い子どもは、一体どこから来たものなのだろう)」
 「しろがねくがねも玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも(金銀宝石も何だというのだろう。子どもにまさる宝物は無いのだから)」

 人形を制作することはできますが、人間を制作することはできません。
 本当に子どもというのはどこから来たのでしょうかほとけさまより与えられたとしか考えられません。
 思えば、配偶者も、更には、この性格や肉体を持った自分も、佛さまから一方的に与えられたものなのではないでしょうか。

 子どもも配偶者も自分も、しばしば理想とはかけ離れ、それを実感する時、人は苦しみます。
 釈迦しゃかさまは、「一切皆苦」「四苦八苦」と説かれました。

 一方、亡くなる時には(=涅槃会)
 「甘美な人生だった」
 と語られたそうです。
 みんな、必ずやって来る「その時」に、こういうふうに語れたらどんなに素晴らしいことでしょう。
 「その子の人生が幸せになってほしい」
 保育の原点も、ここにあります。

 自分の心の中の「鬼」を外に追い出すのは、秋に落ち葉を掃くようなものです。掃いてもすぐに次の葉が落ちてきます。でも、掃けば、そのぶん、確実に道はきれいになります。
 良く考え、落ち着いた暮らしの中から、心の「鬼」を退治していきましょう。

※ 木下航志 『子らを思ふ歌』は、ネット上で見つけられませんでしたが、この歌の作曲者が歌っているものは見つかりました。

 うなりやベベン『子らを思ふ歌 』

 『子らを思ふ歌 』歌詞(原文)と意味(現代語訳)1例
 
 もう一例(いづくより来たりしものぞ、の部分を含む)
 
 もう一例(しろがねも、くがねも玉も、の部分)

(『園だより』令和2=2020年2月号を基に作成)

1月の徳目「和顔愛語」(明るい笑顔と優しい言葉で人に接しよう)

 あけましておめでとうございます。
 今月は、「令和」最初のお正月。元号が変わっても徳目は変わらず、和顔愛語わげんあいごです。

 子どもたちというのは、本当に可愛い存在です。
 可愛いからこそ、彼らが大人になった時には、人を愛し、愛される人になってほしいのです。
 それには、私たち大人が、まず、彼らを愛することでしょう。
 愛情の中で育った子は、明るい笑顔が出やすいです。

 そして、もう一つ大事なのが、挨拶を含む優しい言葉です。
 この二つは、その子が、人を愛し、人から愛されるような人になるのを助けます。

 子どもと大人の関係は、一見、大人による片思いのようですが、実は、子どもたちも、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、先生を大好きなんです。
 私たちは、自信をもってこの「大好き」を受け止め、笑顔を笑顔で返しましょう。

 お雑煮には、餅、いも、鶏肉、小松菜、かまぼこ、海老などなど色々な具があって、料理を成しているように、保育園も色々な子、人がいて、成り立っています。
 これを「和」と言います。
 える」「和音」「調和」など、「和」の言葉は、みな複数の物が組み合わさることを指しています。
 子どもも大人も個性の存在です。
 それぞれ違った力 合わせて、みんな頑張れ、子どもたち、親御さんたち、先生たち
(『機関車トーマス』の替え歌)。
 今年もよろしくお願いいたします。

(『園だより』令和2=2020年1月号を基に作成)

12月の徳目「忍辱持久」(つらい時が来ても、逃げることなく受け止めていこう)

 私たち大人の生活はストレスだらけですが、子どももまたしかりです。

 「赤ちゃん、赤ちゃん、どうして泣くの? だって赤ちゃんだから」
 (作詞:奥田継夫 作曲:乾裕樹『あかちゃん』)
 という歌もあるように、0歳児はよく泣き、その環境の中で奮闘しています。
 1歳児で、同級生にブロックを取られ、泣きながらも「返して!」と言えるようになった子もいます。もっと大きい子でも、泣いたり、立ち直ったりを日々繰り返しています。
 みんな忍辱持久にんにくじきゅうの中で成長しています。

 彼らには、これからも、いろいろつらい時がやって来ることでしょう。
 そんな彼らのために、我々大人にできることと言えば、今のうちから日々、たっぷりと愛情を注ぎこみ続けることではないでしょうか。
 自分は愛され、信頼されて育ってきたという実感があれば、それはその子にとって、必ずや大きなバックボーンになります。

 先日(令和元年11月19日)、特別支援教育で著名な星山麻木先生のお話を国立市内でお聞きする機会がありました。
 講演内容を私なりにまとめさせていただくと、
 「対象の子を勝手に『普通』という枠にめこもうとし、それから外れたら怒る、という行為は無意味である。その子の長所を『突きぬきさせる』よう、私たち大人が考え、取り組むことが肝要である。それには、先ず、思いやり、優しさ、暖かさ、仲間意識である。その子を『変えよう』などとしなくてもよい」
 というものでした。

 私は、お話を聞いていて、親鸞しんらんさまの『正信偈しょうしんげ』に出てくる
 「煩悩ぼんのうを断たずして、涅槃ねはんを得る(涅槃を得るという良い結果があるのなら、煩悩を断ち切ろうなどとしなくてもよいではないか)」
 というお釋迦しゃかさまの言葉を思い出しました。

 今からおよそ2500年前の12月8日、お釋迦さまが佛道ぶつどう成就じょうじゅされて(=成道会じょうどうえ佛教ぶっきょうが始まりました。そして、数々の寺院が建てられ、應善寺おうぜんじも生まれ、和光保育園も創られたのです。そのため、我々はここにこうして集うことが出来るのです。
 成道会は感謝と祝福の日です。みんなで成道会生活発表会を楽しみましょう。

(『園だより』令和1=2019年12月号を基に改編)

11月の徳目「精進努力」(最後までやりとげよう)

 11月には、親鸞しんらんさまに感謝するつどい「報恩講ほうおんこう」が浄土真宗系の各寺院・各保育園幼稚園で勤められます。

 親鸞さまは、師匠法然ほうねんさまより、「人はみな愚かだ。そんな我々でもほとけさまは見捨てない」という教えを受け継ぎました。
 確かに、人はみな失敗を繰り返す生き物です。
 弱いからこそ助け合わねばならないのに、愚かだからこそ、反対に傷つけあったりします。

 実りの秋の代表的食品に、があります。
 栗はおいしい食品です。
 でも、「いが」のついたまま、いきなり相手に手渡したら、相手は「何と意地悪な!」と思うでしょう。
 
そして、二人の間でトラブルが生まれ、結局、「栗の授受」という本来の目的は、達成されません。

 しかし、言う側・言われる側ともに「栗」という内側を見失わず、「いが」という外側に気をつけ、
 「お互い同じ人間ではないか。少なくともほとけさまではない」
 と鷹揚おうような気持ちを持てば、世の中からもめごとはもっと減るのではないでしょうか。

 今年も運動会は園児・保護者の皆さま・職員の尽力により無事に終わりました。
 11月には大きな行事は無いですが、行事も日ごろの地道な「精進努力」の成果です。
 父母懇談会では「園では、きちんと座って、全部食べているんですか」と驚き、喜ぶ親御さんの姿が見られました。
 年長児は、散歩で年少児と手をつなぐ時、自分から気がついて車道しゃどう側を歩きます。
 子どもたちは、日々努めています。
 ご家庭でも、子どもたちが今までに出来ないことが出来ているのを見つけたら、
 「すごいね!」「できたね!」「ママも(パパも)嬉しいよ」
 
と喜びを分かちあってください。
 そのやり取りは、親子双方を更に楽しく幸せに成長させてくれることでしょう。

(『園だより』令和1=2019年11月号を基に改編)