今からおよそ2500年前の12月8日、お釋迦さまはお悟りを開いて佛陀ブッダとなられ、ここに佛教ぶっきょうの歴史が始まりました。
 では、そのお悟りの内容とは何か。今の私にその全貌を語ることはとてもできませんが、一部分を紹介するならば、「生老病死しょうろうびょうし」(生まれて老いて病んで死ぬ)や「忍辱持久にんにくじきゅう」(つらいことに耐える)があります。

 先日(11月19日)、現役で急逝された市長さんのお通夜に参列いたしました。
 同席した当園の理事さんによれば、市長さんは、外では元気に振る舞っていたが、市長室に戻ると倒れ込むようにソファーに横たわっていたそうです。
 しかし、市長さんは、6月4日、当園の前園長を「囲む会」に出席してくださいました。昨平成27年度には、市役所で、茨城水害救援募金を持って行った当園の年長児たちを、出迎えられました(このことは市のホームページや市報でも報道)。
 私事ながら、一昨年(平成26年)の私の結婚披露宴では、主賓として、スピーチの中で、「子どもを生んで、市の人口を増やすように」とおっしゃいました(今年、本当に我が子が生まれました)。

 私は、訃報に接して、市長さんの病は「不治」となったが、「不幸」ではない、充実した人生の終盤を生きられたのだからと思いました。
 人間はみな有限な存在である、その限られた人生を、時間を、いかに生きるか考えよとお釋迦さまは示してくださいました。
 「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられない なんて そんなのは いやだ」というアンパンマンの歌詞のとおりです。

 さて、亡くなる人あれば、生まれてくる子ありです。0歳組の子たちは、初めて成道会じょうどうえ生活発表会に参加します。一方、5歳児組の子たちは、当園で最後の出演です。もちろん、他のクラスの子たちも、そのクラスとしては最後の登場です。
 日常の生活でも、彼ら、そして保護者のみなさんや、我々を含む彼らにかかわるすべての人にとっても、毎日毎日、一瞬一瞬はすべて二度と戻ってこない時間です。

 私の好きな言葉に「後楽こうらく」があります。「人が楽しんでいるさまを見ると、その後、自分も楽しくなる」という意味です。
 子どもが楽しそうにしている様子を見ることが、私たち大人にとって最も楽しいことです。
 この乳幼児という貴重な時間の中で、子どもたちは、当園で、日々どのように楽しく暮らしているか、その笑顔を見ていただきたいと思います。

(『園だより』H28=2016年12月号の原稿を基に一部改編)

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