3月の徳目「智慧希望」

 今月の徳目は「智慧希望」(賢さをもって、希望に満ちた未来を開こう)です。

 学年末を迎え、園児も保育士も何かと慌ただしい毎日が展開されているところです。また、来月の進級や入学という新しい環境に対しての期待や不安も感じる時期でもあります。それぞれの一年の成長を喜び、これからの未来に夢や希望をもち、楽しい学年末になるようにしていきます。

 園では、遊びを中心とした保育が展開されますが、小学校から先は知識を中心とした教科学習が展開されていきます。

「知識」は自分の外側にあるものを学習して積み上げていくものなので、学べば学ぶほど積み重ねられていきます。しかし、知識だけ豊かになるだけでよいのでしょうか。知識だけ豊かになっても人間性を向上させることはできません。「知識」に加えて「智慧」を磨くことも大切です。「智慧」は自分の外側にあるものを学んで自分のものにするのではなく、自分が中心であり、自分を磨くことで身についていくものです。

卒園する子どもたちが、「知識」と「智慧」の両方を磨いて立派な大人に成長することを願っています。 (仏教保育なるほど12ケ月 一部参照)

           文責;園長 白井 千晴

卒園式会場の様子

涅槃会のお参り

本日のお参りは、「涅槃会」でした。本来は2月15日が「涅槃会」になるのですが、土曜日だったため、一日繰り上げて14日(金)にお参りをしました。

「涅槃会」とは、お釈迦様の生涯で節目となる大切な三つの日「三仏忌(三仏会)」の一つで、お釈迦様が亡くなられた日です。

お釈迦様は、35歳でお悟りをひらかれた後、80歳で入滅されるまで遊行生活をされ、多くの人々を教化されました。そして、晩年クシナガラというところまで来た時、チュンダの村で出された供養の食事が原因で食中毒をおこされました。死期が近くなったお釈迦様に対して弟子たちは「私たちはお釈迦様を頼りに生きてきたので、今亡くなられたらだれを頼りにすればよいのか。」という不安を訴えました。それに対してお釈迦様は「自らを灯にせよ。他に依るなかれ。」また「法を灯にせよ」とさとされました。「自らを灯にせよ」とは、自分の人生は自分しか歩めないのだから自分が責任をもって精進努力して怠ることなく歩みなさいということです。「他人に依るなかれ」とは、他人に自分の人生を歩んでもらうわけにはいかず、もちろん他人の人生を代わりに歩んでいけるわけでもないと言われたのです。「法に依れ」とは、嘘や偽りの世界に自分をおいてはいけないとさとされたのでした。(仏教保育総論参照)

今回のお参りは、いつものホールとは違い、應善寺の本堂で、住職のお話を聞きました。子どもたちは少し緊張した様子で本堂に入り、住職のお話を聞きお焼香の作法を教えていただきました。應善寺の本堂は来月の「卒園式」の会場にもなるところなので、その雰囲気を直接味わうことができ、良い機会となりました。             文責;園長 白井千晴

應善寺の本堂(卒園式の準備)

 

2月の徳目「禅定静寂」

 今月の徳目は「禅定静寂(ぜんじょうせいじゃく) よく考え落ち着いた暮らしをしよう」です。「禅定」とは、雑念を払い心身ともに落ち着いた状態のことを意味します。「静寂」とは、 どのような環境においても心静かであることを意味しています。

 心静かに落ち着くための方法は様々ありますが、どこかで時間を作り、短い瞑想の時間が取れるといいですね。仕事の前に一息ついたり、家に帰ってから一日を振り返ったりすることで心が落ち着きます。思いつきで行動すると、失敗することがままあります。行動に移す前にじっくりと考え、世の中の動きに巻き込まれずに、しっかりと地についた生活をすることが大切さです。これは、子育てにも同じことが言えます。

 子どもは身近な大人をよく見ていて、良いところも悪いところも全部吸収してしまいます。 子どもの手本となるよう、目前の忙しさに振り回されることなく、物事をよく考え、心にゆとりを持って発言や行動をしていきたいと思います。

 忙しいときにこそ、一歩引いたり、休んだりして周りを見回すゆとりが必要です。「忙しい」という字は、「心」を「亡くす」と書きます。忙しいこの時期だからこそ、「心」を亡くさず、ゆとりを持って生活していくことを心がけていきましょう。                            文責;園長 白井 千晴

春の訪れを待つ蠟梅の花

節分の飾り(すみれ組作)

 

1月の徳目「和顔愛語」

今月の徳目は「和顔愛語」(明るい笑顔と優しい言葉で人に接しよう)です。

和顔愛語とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が真実の経典として大切にされた「浄土三部経」にある『無量寿経』というお経の中にある言葉で、「和顔」とは和やかな顔、笑顔で「愛語」とは優しい言葉という意味です。つまり「和顔愛語」とは、にこやかな笑顔と優しい言葉で人に接することを意味しています。

私たちは生きていく上で多くの人と接しますが、人と接する中で自分のことばかり考えて行動すると相手に反感や怒りを生んでしまう場合があります。常に相手のことを考え和やかな笑顔と優しい言葉で接すれば、相手のこころも穏やかにすることができるでしょう。

慌ただしい日々の生活の中で私たちは知らず知らずのうちに自分本位の考えや行動になってしまうことがあります。忙しいときにこそ、周りを見つめ、自分の言動を振り返り「和顔愛語」の行動がとれているか確認できるといいですね。

お互いに相手のことを思いやり、和顔愛語の気持ちで接していきたいものです。大人が穏やかに生活できれば子どもたちも穏やかに生活できます。

                                    文責;園長 白井 千晴

 

明るい笑顔と優しい言葉

初代園長きく先生と子どもたち

 

新年のお参り

本日のお参りは、「新年のおまいり」でした。子どもたちには次のようなお話をし、その後に絵本を紙芝居ふうにした「逃げ出した福の神」を読みました。

新しい年「令和7年(2025年)」が始まりました。今年は「巳年」です。巳(み)は十二支の6番目で、蛇を表します。蛇にはちょっと気味の悪い、暗いイメージもありますが、昔から作物がよく取れたり、お金がたまったりする神様として祀られていることもあり、神様に仕える生き物として大切にされてきました。たくましい生命力があり、脱皮をするたびに表面の傷が治癒していくことから、医療、治療、再生のシンボルともされています。

「12支」には、どんな動物がいるか知っていますか。「子(ね)」ねずみ「丑(うし)」「寅(とら)」「卯(う)」うさぎ「辰(たつ)」りゅう「巳(み)」へび「午(ウマ)」「未(ひつじ)」「申(さる)」「酉(とり)」「戌(いぬ)」「亥(い)」いのしし。の12匹です。

この中で不思議なことが2つあります。なんだと思いますか。一つ目は「辰(たつ)」りゅうです。他の11匹は実際にいる動物ですが、りゅうだけは想像の動物です。

もう一つは、身近にいるある動物がこの中にいないのです。何の動物だと思いますか。そうです。「ねこ」です。でも、チベットという国やタイという国では、ウサギの代わりにネコが使われているんだそうです。面白いですね。

 

紙芝居の内容は次の通りです。

貧乏な夫婦が自分たちの苦しみを忘れて貧乏神に同情する優しさが結果的に幸運を呼ぶという物語です。貧乏なのに、働くことが大好きで福の神さえも平然と追い払うバイタリティーをもっている夫婦でまさに働く庶民の心意気を語る昔話です。                                 文責;園長 白井千晴

 

逃げ出した福の神

お参りの様子

              

12月の徳目「忍辱持久」

今月の徳目は「忍辱持久」(辛い時が来ても逃げることなく受け止めていこう)です。

現代の世の中にあって、「がまんすること」を子どもたちに教えることは、大切なことであると同時にとても難しいことです。なぜなら、具体的な場でがまんしなければならないことが少なく、どんなことでもある程度お金で解決できてしまうので、がまんが満たされやすいことが多いからだと考えられます。

しかし、「がまんすること」ができない子どもは、わがままな子どもになり社会性の発達が遅れていくのです。このようなことを考えると「がまんする」「耐える」ということは教えていかなければならないことだと言えます。お釈迦さまもいろいろな場面で耐え忍ぶことを教えられています。

ある日、お釈迦様の子どもラゴラが強盗に会い、頭を殴られてしまいます。歯を食いしばってこらえているラゴラの頭からも血が流れています。「どんなことがあっても怒ってはいけない。心を抑えて耐え忍ぶことこそお釈迦様の教えを守る勇気ある行動なのだ」と自分に言い聞かせて耐え抜いたのでした。お釈迦様はその話を聞いて「もし忍ぶことを知らない人がいたらその人は仏に会うことができないであろう。私が安らかな暮らしができるのも忍のおかげである」と説かれたのだそうです。命の危険を感じながら耐え忍ぶラゴラの姿にはとても厳しいものを感じます。お釈迦さまも悟りをひらくために様々な障害や誘惑に耐え、それを乗り越えたことを考えるととてもたいへんだったことだとおもわずにはいられません。忍ぶことには勇気がいります。

このことを今の子どもたちにどこまで話して、理解してもらうかはとても難しいことだとは思いますが、「耐えること」や「忍ぶこと」の必要性を説く一つの話にはなるのではないでしょうか。 

※佛教保育なるほど12ケ月より引用                                  文責;園長 白井 千晴

仏教保育なるほど12ケ月

辛夷の木に新しい芽が芽吹きました

成道会おまいり

本日のお参りは、「成道会のおまいり」でした。子どもたちには次のようなお話をし、その後に紙芝居「おさとり」を読みました。

 「成道会」はお釈迦様が「お悟り」をひらいて佛教の道を成し得た日ですが、「お悟り」とは何でしょう。簡単に言うとみんなが幸せになる正しい教えのことです。人は一人では生きていけないのです。自分がいつも食べているもの、身に着けているもの。それらはすべてこの世の誰かが作り、運び、店先で売っているものです。それらの品物を買うために、みんなのお父さんやお母さんは毎日働いてお給料をもらって、そのお金で買っているのです。私たち人間はこのように周りの人に支えられて生きていることを忘れないようにしましょう。ですから、日頃から①ありがとう。②おかげ様。③お互い様。の気持ちをいつも忘れずに過ごすことが大事です。自然に心の中から感謝の気持ちが出せるようにしましょう。

 自分がやったことが誰かの助けになり、「ありがとう。」とか「おかげ様」って言われたらうれしいですよね。「ありがとう」や「おかげ様」と言われた時には、なんて言いますか。それは、「どういたしまして」とか「お互い様」です。こうやってお互いに相手に感謝する気持ちがあれば、みんなが仲よくすることができますね。                                                  

                                                                           文責;園長 白井千晴

お参りの様子

紙芝居「おさとり」

 

11月の徳目「精進努力」

 今月の徳目は「精進努力」(最後までやり遂げよう)です。

 この世を生きていくためには、毎日生き甲斐をもって送ることが大切です。特に、一日一日を大切にして自分の務めを努力し精進することは何よりも大事なことです。

「精進」は、精神的な成長をするための継続的な取り組みを意味し、「努力」は、その過程での具体的な行動や意思の力を強調しています。この二つを組み合わせた「精進努力」は、自分を磨き続けて、自己成長やさとりに至る道を切り拓く不可欠な要素とされています。

お釈迦様の弟子に、チューランパンタカという人という人がおりました。パンタカは生来愚かで、同じ言葉を何回聞いても覚えることができないばかりか、自分の名前さえ覚えることができなかったと伝えられています。お釈迦様は、チューランパンタカにほうきを1本渡され、「このほうきで塵をはらわん、垢を除かん。と、この言葉だけを繰り返して覚えなさい。」と教えられたのでした。この日から、チュウランパンタカは一生懸命「チリは払わん、垢は除かん」と称えながら、ほうきを手にして働きました。いつの間にかこの言葉を覚えると同時に、塵とは心の塵だろう、垢とは心の垢だ。ほうきとは何か。それはちえのことだなとわかり、心の塵や垢を取り除き、清く正しい心をもち続けることがお釈迦様の教えなんだと悟ったのでした。

この道一筋に努力したチューランタカの物語は、私たちが精進努力することの尊さを教えてくれています。日々の生活の中で一日一日を大切にして生き甲斐をもって過ごしていきたいものです。

  (仏教保育なるほど12ケ月 参照)                   文責;園長 白井 千晴

報恩講のお話し

 本日のお参りは、「報恩講のおまいり」でした。子どもたちには、お釈迦様が作られた「仏教」の中に、いくつかの宗派があり、親鸞様はその中の「浄土真宗」というものを作られた。その浄土真宗のお寺の一つが「應善寺」で、その應善寺が作った保育園が「和光保育園」です。なので、その和光保育園に通っている皆さんも、元をたどれば親鸞様やお釈迦様に繋がっているという話をしました。その後、「おねんぶつのちから」の紙芝居を読みました。

 さて、「報恩講」とは字の意味からすれば「恩に報いる集まり」ということですが、浄土真宗で言われるのは親鸞聖人のご恩に報いる集まりのことです。
 浄土真宗をひらかれた親鸞聖人は、弘長2年(1262)11月28日に90歳でお亡くなりになりましたので、その11月を中心に報恩講は開催されています。

報恩講は親鸞聖人のご恩に報いる集まりなので、親の恩に報いるには親の喜ぶことをするように、親鸞聖人のご恩に報いるためには親鸞聖人の喜ばれることをすることが大事です。
親鸞聖人の教えをよく聞き、本当の幸せになるのが、親鸞聖人の一番喜ばれることであり、報恩講が行われる目的です。

親鸞聖人の最も喜ばれることは、なんでしょう。それは私たちが真剣に仏法を聞いて、信心獲得(しんじんぎゃくとく)=本当の幸せになることだと言われています。

 私たち人間は、一人では生きていけません。世の中の様々な人の助けを借りて生きています。今日の給食では、いろいろな食材やそれを作ってくれた人、運んでくれた人、調理してくれた人への感謝の気持ちを込めて「報恩講ごちそう会」として、おいしくいただきました。

※「一からわかる親鸞聖人と浄土真宗」参照              文責;園長 白井千晴

 

紙芝居「おねんぶつのちから」

今日の「報恩講ごちそう会」のランチプレート

「助け合いの日お参り」の話

15日(火)に「助け合いの日のお参り」をしました。ホールにすみれ組・さくら組の子どもたちを集め、次のようなお話しと「いのちのまつり おかげさま」の絵本を読みました。

~お話の内容~

「助け合い」ってどういうことかわかりますか。「助ける」と「合う」という二つの言葉が重なったものです。「助ける」というのは誰かのためになることです。助けてもらったときには、「ありがとう。」とか「おかげさまで」というお返事をしますね。でも、いつも助けてもらっているだけでは「助け合い」とは言わないのです。いつも助けてもらっている人が今度は助けてあげる方に回ることで初めて「助け合い」になるのです。お互いに相手を助けることが「助け合い」です。ですから助けてもらったときには、「ありがとう」「おかげ様」とお礼の言葉を言います。感謝の気持ちを言われた時には「お互い様」というお返事になるのです。

このように世の中は、自分一人では生きていけないのです。周りの多くの人に支えられ、助けられて生きていけるのです。でもそれだけではありません。皆さんもどこかで誰かのためになっているのです。誰かのために自分ができることをやれる人になりましょう。一人ひとりがそうやって誰かのためになることをやろうとすることが助け合いの気持ちを大きくし、この世が住みやすいものになるのです。今は誰かに助けてもらうことが多いかもしれませんがおおきくなったらきっと誰かのために頑張ることができると思います。そうやって人私たち日本人は昔から生きてきました。今は助けてもらっている皆さんもこれから大きくなって誰かを助けられる人になってください。これで今日のお参りを終わります。

令和6年10月15日                        文責;園長 白井千晴

いのちのまつり「おかげさま」の絵本

ホールのお仏壇の前でお参りをしました