令和5=2023年4月12日
では、先ず、お釈迦さま誕生時に、どのような
「奇跡」
があったか、列挙してみましょう。
(奇跡1)
「母親マーヤーさまは、象が体内に入る夢を見て、お釈迦さまを懐妊した」
(奇跡2)
「お釈迦さまが生まれる時、天から甘い味のする雨が降った」
(奇跡3)
「お釈迦さまは、マーヤーさまの右脇から生まれた」
(奇跡4)
「お釈迦さま出生時に急に水が湧き出て、井戸が出来た」
(奇跡5)
「お釈迦さまは生まれるとすぐに立ち、歩き、天地を指さして『天上天下唯我独尊、、』としゃべった」
次に、
「史実」
(といっても、二千五百年も前のことであり、推量を多々含みますが、それでも、多くの本に書かれていること)を記しましょう。
(A)
「マーヤーさまは高齢出産だった(紀元前五世紀ころ、「三十五歳」と伝えられる)」
(B)
「マーヤーさまは、出産のため、ふるさとに向かったが、途中、立ち寄ったルンビニー花園で休憩時、産気づき(あるいは産気づいたため、花園に立ち寄り)、屋外で、出産した」
(C)
「マーヤーさまは、出産後一週間で亡くなった」
そして、私なりの「結論」を先に述べさせていただくと、
「お釈迦さまは出生時、早熟で、巨漢だった」
「出産は難産だった」
「出生の前後に雨が降った」
ということが想像されます。
この「結論」に沿って、「奇跡」を「何らかの史実が反映されているのではないか」との前提のもと、分析していきましょう。
(奇跡5)
「お釈迦さまは生まれるとすぐに立ち、歩き、天地を指さして『天上天下唯我独尊、、』としゃべった」
便宜上、説明は「奇跡5」から入らせていただきます。
さすがに私もこのことを本当のことだとは思っていません。
しかし、お釈迦さまがとても早熟な子だったということくらいなら、あり得るでしょう。
例えば、
「子どものお釈迦さまを臣下や人民にお披露目する儀式か何かがあって、その場で、通常の子どもなら、立ち、歩き、しゃべらない年齢・月齢で、立ち、歩き、しゃべって、周囲を驚かせた」
とか、
「生まれた直後も、普通の子ならしない・出来ない何らかのしぐさをして、人々の印象に残った」
ということがあり、
それが、後に、誇張されて、
「誕生直後に、立ち、歩き、しゃべった」という話になったということなら、充分にあり得ることだと思います。
「天上天下唯我独尊、、」については、のち、お釈迦さまが成人して、成道した後、異教徒ウパカに出会った時、本当にこの言葉を発せられたそうです。それが、後世、時間の順序を変えられて、「誕生時」になってしまったとのことです(水野弘元『釈尊の生涯』「釈尊の出生から出家前まで」春秋社)。
(奇跡2)
「お釈迦さまが生まれる時、天から甘い味のする雨が降った」
マーヤーさまは、花園の屋外で、それも花の木の下で出産なさいました。
この時は、美しい花も降ったと言われています。
これは、雨に散らされた花がマーヤーさまや侍女たちの口に入り、蜜の味がして、それが後世「甘い味のする雨が降った」という伝説になったのではないでしょうか。
(奇跡4)
「お釈迦さま出生時に急に水が湧き出て、井戸が出来た」
それまで涸れていた川が、お釈迦さま誕生の頃、急に満水になったという場面が、紙芝居『おしゃかさま 第1巻 おたんじょう』(諸橋精光著、すずき出版)に出てきます。
これが諸橋氏の脚色なのか、何かの文献に基づいているのかは、目下、確認できていませんが、類似の記述は見つけました。
「(お釈迦さまを産み終えたマーヤーさまの)前後に自然と、見ているうちに四つの井戸が出来た」(金岡照光『漢訳仏典』「過去現在因果経」学研)。
古代のインド社会は発達しており、インダス文明では水道が整備されていました。ルンビニーは、王侯貴族が立ち寄るくらいの花園だったのですから、水道があったとしても不思議は無いでしょう。
お釈迦さま出生の頃には、大雨が降って、水道の排水口から逆に噴水して、そのあたりが水びたしになり、それが後世、美化されたのではないかと、私は想像しています。
(奇跡3)
「お釈迦さまは、マーヤーさまの右脇から生まれた」
古代インドの神インドラ(帝釈天)は母親の「脇腹より」生まれたと言われており(『リグ・ヴェーダ讃歌』「インドラの出生」)、おそらくこの神話がお釈迦さまの出生譚にかぶせられたのでしょう。
ただ、だとしても、どうしてこの神話が選ばれたのでしょうか?
あるいは、赤ちゃんお釈迦さまの体があまりに大きくて、難産となり、何か尋常でないこと、例えば、手術(?)が行われたことを反映しているのかもしれません。
私の頭をよぎるのは、古代ローマの帝王カエサル(シーザー)の出生です。彼は「帝王切開」のうえ生まれました。というより、カエサルがこのように生まれたことから「帝王切開」という単語が出来ました。
もっとも、宮殿でなく、途中に立ち寄った花園の、それも屋外で雨中に急遽出産ということなら、「手術」説は成立し難いかもしれません。
ただ、こういう出産自体は、既に充分に尋常でない出来事です。
マーヤーさまは、ご出産後、一週間で亡くなりました。
(奇跡1)
「母親マーヤーさまは、象が体内に入る夢を見て、お釈迦さまを懐妊した」
偉人の母親が、何か特別な物が体内に入る夢を見て懐妊した、というのはしばしば聞く話です。
ただ、マーヤーさまの場合、なぜそれが「象」だったのでしょう?
私のような男には体験できないことですが、妊婦にとって胎児の重さが大変なことは間違いないです。
まして、お釈迦さまは、人類の寿命が短かった紀元前五~四世紀ころに八十歳で亡くなるまで教団の長として現役で活躍しておられたことから、かなり体格・体質に恵まれた方だったのではないかと推量されます。
一方のマーヤーさまは、三十五歳でご出産ですから、この時代では高齢出産と言えましょう。
妊娠後、思わず「象を宿しているみたい」とつぶやいたか、あるいは本当に象が体内に入る夢を見て、それを周囲に語ったかしたところ、それが後に、偉人の懐妊説話と絡んで、時間の順序が入れ替わり、「妊娠前のこと」となったとは考えられないでしょうか。
お釈迦さまを象徴する動物として、よく引き合いに出されるのは、「獅子(ライオン)」です。「獅子吼」と言えば、お釈迦さまの発話・発言のことです。
象はおとなしくて、しかも体が大きい動物だから、これまた偉大な宗教家を象徴するために使われたのだと言われれば、そうかもしれませんが、それでも「体が大きい」という概念は残ります。
(まとめ)
以上が、たぶんに想像ではありますが、お釈迦さま誕生の「奇跡」に関する私の現時点での考察です。
必ずしもこれらを園児(あるいは、保護者・保育者)に先んじて言う必要は無いと思っています。知識は「陳列」するものではなく、園児から質問が出た時のために「備蓄」しておくものと考えていますから。
それでも、思いもかけない質問に答えられなかったら、正直に、
「私にもわからない。調べる」
と答えて、調べればよいのです。
そして、人に尋ねたり、本を読んだり、ネットを見たり、研修を受けたり、法話を聞いたり、(余裕があれば)現地を訪問したりします。
園児たちをミス・リードしてはいけませんから、知識にこういう「点検」「更新」は常に必要です。
それによって頭の中で組み立てようとしていた仮説が崩壊したなら、それも受け入れます。
奇跡譚「ばっさり切り捨て」法も、「そのまま受け入れ」論も、私はその方法を取りません(そう思っていないので、その方法を「取れません」)が、そういう本やネット番組を見て、感服したことはあります。
それらの著者・スピーカーに誠意が感じられたからです。
肝要なのは、
「話者が自分なりに誠実に調べ、よく考え、その時点で自信が持てる説を、子ども相手に堂々と、ごまかすことなく話す」
ということだと思います。
(改めて、「花祭り」とは)
奇跡譚をどう扱うか、ということでこの文章を書き始め、本来は上の言葉で終わる予定でした。しかし、やはり人の「生」と「死」にかかわることなので、最後に以下の文章をつけ加えさせていただきます。
このように、まるで母マーヤーさまとの命の引き換えのように誕生して来たお釈迦さまは、のち、「生」と「死」を正面から見すえる、人類史上に名を遺す仏教の創始者となりました。
マーヤーさま・お釈迦さまのような親子は世の中にそういませんが、それでも、どの母・どの子も、大変な過程を経て、出産・誕生します
私事で恐縮ですが、私の長男は、出生時、3900グラム以上あり、妻は当時二十代でしたが、それでも半日苦しみ、最後に現代日本の進んだ医学のおかげで、ようやく産声を上げることができました。
皆さまも、お子さんの誕生については、必ずや忘れられない思い出があると存じます。
お釈迦さまのお誕生日「花祭り」は、
「人の誕生というのは普通のことではないのだ」
というメッセージを、マーヤーさま・お釈迦さまが二千五百年前、私たちに残してくださった記念日だと思います。
社会福祉法人和光保育園 前園長・副理事長 白井千彰