当園の節分では、園児に、鬼へ豆をぶつけさせません。意味が無いからです。鬼は、私たち一人一人の心の中にいるのです。
 人と鬼は、きっぱりと違う二つのものではありません。違いは、人によって、時によって、「鬼」的要素が出るか、出ないかだけです。
 「鬼」という字はもともと「鬼の仮面をつけた人」という意味だそうですが、テロや犯罪の報道に接すると、人こそ「人の仮面をつけた鬼」ではないかと思われます。

 さて、お釋迦しゃかさまには、周利槃陀伽しゅりはんだかという愚かな弟子がいました。しかし、周利槃陀伽は、お釋迦さまの、「ほこりは、いても、また必ず出てくる。では、掃かなくてもよいのか。いや、また出てくるからこそ掃くのだ」という教えを理解し、毎日、掃除に努めました。
 我々の心の中の鬼は、そう簡単に無くなるものではないでしょう。しかし、その数を減らしたり、それが暴れないようにすることはできるでしょう。
 埃は、放置しておけば、コンセントに積もり、発火し、家をも炎上させます。
 私たち各人も、「火事」にならないよう、「鬼は外!」をし続けましょう。

(『園だより』平成27=2015年2月号より)

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