子どもたち、特に小さい子ほど、触れ合い遊びが大好きです。言葉を話せない赤ちゃんですが、肌が直接接するところから、自他の生命の存在を感じるのでしょう。
 親子、友だち、更には、動植物にいたるまで、いろいろな触れ合いを通すなかから、生命の不思議さ、素晴らしさ、おもしろさ、はかなさを子どもたちは学んでいきます。
 生命というのは、厳しいものでもあります。私たちは、他の動植物の生命をいただかなければ、みずからの生命をつなげない存在です。肉、野菜はもちろん、皮革、木製品、紙なども、もとをたどれば、みな私たち人間が取ってきた生命です。
 先月、降誕会ごうたんえ親鸞しんらんさまの誕生日)の紙芝居を見終わったあと、子どもたちからは、なぜその頃(源平げんぺいの争いの時代)は戦争が多かったのか、なぜ親鸞さまのお父さまはどこかに行ってしまったのかという感想が聞かれました。
 歴史や宗教の高度な知識を持つ彼らではありませんが、どこか、いやだ、可哀想かわいそうと思ったのです。そして、このいやだ、可哀想と思う気持ちこそが大切であり、この気持ちをしっかり守り、育てていけば、子どもたちは、やがて、人権を守り、平和を築ける人となるのです。
 親鸞さまの教えを継ぐ寺々の中から應善寺が生まれ、親鸞さまのお誕生からおよそ800年後、應善寺おうぜんじから和光保育園が誕生しました(1954年)。
 「生命尊重」は先代、先々代より引き継いだ当園の根っこです。皆さまのおかげで、今年も創立記念日を迎えることができました。今後もよろしくお願い申しあげます。

(『園だより』H29=2017年6月号より)

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