鬼か、人か。「節分」を前に阿弖流爲・ 母禮の碑を思い出す。
今から1200年前、坂上田村麻呂は、蝦夷を「鬼」と称して総攻撃した。
浜に打ちつけられたたくさんの鬼の首は、時間が経つと、人の首に変わったという。
それを見た田村麻呂たちは、自分たちこそ鬼だったと知ったに違いない。
田村麻呂は、都に凱旋したのち、蝦夷の首領⁼阿弖流為・母礼の命乞いをしたが、朝廷より認められなかった。
阿弖流為を称える石碑は、今、清水寺の舞台の下に立っている。
「この碑を京都や東京の人は知らないですが、岩手の人はみな知っています。」
保育園の節分を前に、「鬼」のことを考えていたら、以前京都に旅行した際にガイドをしてくれた運転手さんの言葉を思い出した。
(平成31(2019)年1月30日筆)
和光保育園の節分では、鬼(役の人)に豆をぶつけません。鬼も子どもたちを脅かしません。
そもそも、人か鬼か、自分か他人か、というのは絶対的に分かれるものではありません。
鬼がどこにいるのか、と言えば、みんなそれぞれの心の中にいるわけですから、自分の外のものを想定して、それに豆を投げつけても意味は無いのです。
それどころか、鬼役の人に豆をぶつけることに、もし快感でも覚えるようなことがあったら、それこそ鬼の心が目覚めることになってしまいます。
(蝦夷は、昔、岩手に住んでいた民族だが、大和民族によって滅ぼされた。
首領アテルイは色々な俳優が演じている。