佛教保育の三綱領の心を深めよう

  •  佛教保育では、宗派の違いを超えて統一した3つの理念を掲げています。それが「佛教保育の三綱領」と呼ばれているもので「慈心不殺(じしんふせつ)」「仏道成就(ぶつどうじょうじゅ)」「正業精進(しょうぎょうしょうじん)」の3つになります。
  • ⑴慈心不殺(じしんふせつ) 生命尊重の保育を行う

  毎日の生活の中で私たちは生き物の命をいただいて生活しているのです。一日でも生き物の命をいただかない日はありません。同時に佛教では草でも鳥、魚、水や石にも命(仏性)があると考えるのです。しかし、人間が生きていくためにはたくさんの命をいただかなければなりません。この悲しみを心に持ち、この心が慈悲の心へと深められ、合掌し、感謝して毎日の食事をしていくのです。食事だけではありません。人間はこの地球環境によって生かされているのですから、全てに感謝して、全てのご縁を大切にしていかなければならないのです。佛教保育の基本は「生命尊重」にあると言えます。(佛教保育なるほど12ケ月より引用)

※「仏道成就(ぶつどうじょうじゅ)」「正業精進(しょうぎょうしょうじん)」については次回にお話しします。                                     

文責;園長 白井 千晴

元気だったころの辛夷の木

ホール仏壇の中の「初代辛夷の木で作っていただいた仏様」

佛教保育のめざすもの(その2)

  • 前回は、「智慧と慈悲」と「絶対平等についてお話をしましたが、今回はその続きの「因縁生起と諸行無常」と「保育は(過程)が大切」についてのお話しです。
    • ③「因縁生起と諸行無常」について;物事にはすべて原因があり、それによって結果が生まれます。これを仏教の言葉で「因縁生起(いんねんしょうき)といいます。そして、原因が違えば結果も変わるのですからこの世には「絶対」というものは何一つとしてないのです。物事はいつも一瞬一瞬変化して動いているものです。これを佛教の言葉で「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と言います。私たちの命は縁起であり、悩みや苦しみもすべて縁起であると言われています。佛教の教えでは、物事を常に理性的に分析し、悩みや苦しみの原因を自分の心の在り方の中にも留めました。そしてその原因を取り除くことで自ら安らかにする道を説かれたのです。物事の見方を変え、心の持ち方を変える。自分の中にあるこだわりを捨て、いつも静かな心で全ての人や物に向き合う。そして自分自身が安らぎのもととなってそれを周囲に広げていく。そうやって誰もが求める安らかな世界を作っていくことが大切であると説いています。次代を背負う子どもたちを育てる教育の精神的基盤としてこの佛教の教えがますます大事になってくるのではないでしょうか。
    • ④「保育は(過程)が大切」について;スポーツやビジネスの世界ではよく「結果が重要」とか「結果が大事」と言われますが、いわゆる勝負の世界ではそれはそれでわからなくもないのですが、保育や教育にこの結果主義は当てはまりません。そもそも人間は一人一人違うものであり、その人生に勝ち負けや優劣をつけるものではないのです。そして、人の人生の結果は必ず「死」であるということです。人は必ず死ぬ。生まれた時から死に向かって生きているのです。だから結果を重視しても意味はなく、「過程」つまり死ぬまでの生ある日々をどのように生きたかが重要なのです。一人ひとりの命はみな違い、尊いものでそれをお互いに見せ合い教え合う中で人間の理想像を求めていくことが佛教の保育であり教育なのです。(新佛教保育総論より引用)
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    • この4つの考えを基に「佛教保育」を進めていきます。次回は、佛教保育の根元として示されている「佛教保育三綱領」についてお話しします。     文責;園長 白井千晴
    • 「花祭り」お釈迦様の誕生

      「涅槃会」お釈迦様の死

佛教保育のめざすもの①

  • 今回は、「佛教保育がめざすもの」についてお話しします。佛教保育が目指すものは次の4つと言われています。
  • 「智慧と慈悲」「絶対平等」「因縁生起と諸行無常」「保育は(過程)が大切」
  • ⑴「智慧と慈悲」について;佛教は「智慧と慈悲の教え」と言われています。「智慧」(プラジュニャー)とは、物事を深く見通す力のことで、何事も短絡的に考えずによく考えるということです。冷静によく考えることで物事の道筋が見えるようになり、今何をすべきか、逆に何をしてはいけないかなどが見えるようになると言われています。「慈悲」は、「慈」(マイトリー=友情・友愛)と「悲」(カルナ―=同情・憐れみ)が合わさった言葉で、慈しみの心で物事を見つめ、悲しみを共有するということだと言われています。
  • ⑵「絶対平等」について;佛教には「一切衆生 悉有仏性」という言葉があります。これは、「涅槃経」というお経の中に出てくる言葉で、この世の生きとし生けるものすべての中に等しく仏の種が宿っているという考えです。つまり、子どもだけでなく、保護者や保育者の中にも仏の種が宿っていて、全ての人が等しく「仏の子」であるということです。これを言い換えれば、絶対平等の価値観に立つことと理解できるのではないでしょうか。大人が子どもに教えるという上下関係や一方通行の価値観ではなく、横並び・並列の価値観だと言えます。大人と子どもが一人の人間として対等に出会い、互いを尊敬し信頼し合う中で大人は先輩として自分自身の生き方を子どもに示し、子どもはそれを見て学びながら成長し、大人もその姿を見ることで己を振り返り互いが学び合って自己を完成させていくということであるといえます。このような絶対平等の価値観が佛教保育の神髄だと言われています。(新佛教保育総論より引用)

長くなりましたので、今回はここまでにします。「因縁生起と諸行無常」「保育は過程が大切」については次回にお話しします。

園の辛夷の木で作られた仏様

新わかりやすい「仏教保育総論」

 

佛教保育のお話し(リニューアルしました)「佛教保育ってなあに」

「佛教保育ってなあに」という単純なところからお話をさせていただきます。

 佛教保育と一口に言っても少しわかりにくいと思います。一般的には、お寺が運営している保育園や幼稚園、こども園であること。一年の中に様々な佛教行事があるということが佛教保育の特色と捉えられていることが多いかと思います。和光保育園も今から70年前に應善寺の先代住職夫妻によって創立された「宗教法人 和光保育園」がスタートです。月に一度のお参りや様々な佛教行事も行っています。それらについて、これから少しずつお話をさせていただきます。

  • 第1回は、「佛教保育の背景」についてお話しします。

明治5年の「学制」以来、日本の近代教育は西欧やアメリカの教育手法に倣いながら現代に至っています。特に第二次世界大戦後日本は西洋の教育制度や技術を積極的に導入し、それを日本の状況に合わせて定着させてきました。しかし、実はその根底部分において一つ解決しなければならない問題が存在し続けました。それは「教育を支える精神的な基盤は何か?」ということです。教育制度や技術面での整備・充実・発展の裏で、それを用いて一体どのような人間を育てたいのかという理念や倫理観が戦後の日本において不明瞭であり続けたと言われています。

 そこで、日本の教育上の精神的空白を埋めるために一つの確かな文化として「佛教」が注目されたのです。戦後の経済発展の中で混迷を深めてきた日本人の心の問題を、佛教の教えによって導かんとする尊い挑戦であったともいえます。器だけが整った近代以降の日本の教育の最も重要な中身の部分に佛教という芯を立て、佛教精神に基づく全人的教育を目指したのです。(新佛教保育総論より引用)                           文責;園長 白井 千晴

應善寺正門から見た本堂

和光保育園側から見た應善寺